チェスター・ベニントン。

家のベランダからの景色
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土曜日の朝7時半過ぎ。
昨日は生活にケチが付いた。
楽勝と思っていた営業は楽勝で失敗。
ダラダラと誰でもできる給与計算。
蚊に刺されたのか、かいてた肘から大量出血。
携帯見ながら歩いてパーキングに入ったところで
盛大にすねを鉄の棒にぶつける。
バイク抜け道禁止のためにバーが設けられていたが、
携帯見てたのと、暗かったので見えなかった。
あまりの痛さにすねを見るとすねから出血。
本当に痛いと声もでねー。
グッとこらえること数分。
踏ん張っていたために汗が出てきた。
しばらくしてすこーし痛みも引いてきた。
髪切りに行こうと思っていたけど、
こんなときは止めた方がいい。
そう、とっとと帰ってリセットした方がいい。
自分の中でケチがついた。
流れが悪いのである。
「まだ何かあるかもしれない」
と用心していたはずが、
「さすがにもうねーだろ」
という油断に負けた。
バイクでアソーク通りを爆走中
変な音がした。
しばらく走り、後方からクラクションが鳴る。
後ろを向くとバイクの兄ちゃんが何やらジェスチャー。
どうやら俺のナンバープレートが吹っ飛んだらしい。
確かにケツについてたプレートがねえ。
あー、あの音かと。
ってか、まだツキは落ちたままだったか。
逆走してプレートを発見&回収。
安全走行で家に帰宅した。
こんな時は早々に酒飲んで寝るにかぎる。

俺は最近白ワインしか飲まねー。
しかも、氷入れてソーダで割る。
「ワインがもったいない」
と言われたこともあったが、
そんなの関係ねーわ。
俺がこれが一番イイと思ってんだから。
ともあれ、こいつが一番合ってるわけだ。

そして今朝である。
なんかなー。
まだ本調子じゃねーのかな。
ブログも書いたり書かなかったり。
つーか、書きたくなったりそうじゃなかったり。
本もまた読み始めそうになったんだけど、
結局あまり進んでねー。
よくわかんねーな。

今朝は起きて、オナニーして、
フェスブック見たらこんなニュース。
「リンキン・パークのチェスターが命を絶つ36時間前の動画を妻が公開」
どっかのロックバンドのボーカルが自殺してニュースになったことぐらいは知ってた。
でも、うつ病ってのは知らなかった。
奥さんの
「うつ病の重さは表面からじゃわからない」
というコメントを見て興味を持ってググって調べた。
リンキン・パークのこと、チェスターのこと。
つーか、バンド名は知らなかったけど、
Numbは聴いたことあった。
チェスター・ベニントン。
素晴らしい歌声だわ。
彼が自殺する2ヶ月前に親友クリス・コーネルが自殺。
Wikipediaがすべて正しいのかわからんが、
それ通りの情報だったら二人の人生すげー。
あと、リンキン・パークのマイク・シノダ。
日系3世。
彼も壮絶な生い立ちだ。
差別、軽蔑、アイデンティティー。
「なぜ俺は生きているのか?」
「何のために俺は生きているのか?」
誰だって一度は考える。
いや、一生考え続ける問い。
「俺は何者なのか」
とにかく定義付けがしたい。
なんでもいいから納得できればいいわけだけど、
んなもん、あるわけねーんだ。
それもわかっててもわかってねー。
もう色々とグチャグチャになる。
こんなの考えるの人間だけだ。
なんて馬鹿なんだ。
自分でただ苦しんで・・・。

アイデンティティー。
俺のアイデンティティーってなんなんだ?
全然わからねー。
けど、今も考えてる。

新しい薬になったからか、
生活リズムが変わったからか、
仕事の責任が無くなったからなのか、
なんだかよくわかんねーが、
以前よりも躁鬱の波が弱まった感じがする。
EFEXOR XR 75mg。
これだって安かねーんだがな。
でも、ダオが「飲め」って言うからこれ飲んでる。
俺にとっちゃダオが神様。
あいつの言うことは聞くようにしている。
もしかしたらチェスター・ベニントンとクリス・コーネルもこんなだったのかな。
ダオが死んだら、俺もどーなるかわかんねーな。

今日は髪切りいこうと思ってる。

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# by satito10 | 2017-09-23 10:25 | THAILAND~タイ~ | Trackback | Comments(0)

とにかくやらない。

やろうと思うこと。
頭にはある。
が、どうしても先に送りにする。
そんなことはやらなくてよい。

ブログ更新。
やろうかな。
でも結果的にやらない。
ということはやらなくてよい。

洗濯。
たまっていく。
やろうかな。
でもやりたくない。
ということはやらなくてよい。

仕事。
次から次へと何かが起きる。
やらなければやらなければ。
こうなったらもうやらなくてよい。

すべてほっぽりだして
なーんにもしなくてよい。

やりたいときにやればよい。
恐ることはない。
その内やりたくなるんだから。

やりたくない。
それは身体、脳からのメッセージ。
やらなくてよい。

またやりたいと思うことを考えるのではない。
とにかく何も考えず。
やらなきゃいいんだ。

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# by satito10 | 2017-09-13 13:42 | ESPECIAL~未分類~ | Trackback | Comments(0)

「人間」としての生き方

重いタイトルである。
今、読んでいる本のタイトル。

内容に触れる前に
そもそも読書を開始したのはいつ以来だろうか。
以前は1ヶ月に100冊読んで
「おー、読んでるなー」
とか思ってたのが、
タイに来て5年経つけど、
5年で30冊も読んでないと思う。
「なんでだろう」とずっと思ってた。
本は読まねばと思ってたから、
なんとかして読むために
小説とか読みやすいのを試してみたり、
自己啓発とかも試したし、
色々とやったんだけど、
どんどん読まなくなってしまった。
しかも30冊ぐらいの内ほとんどは
日本の本社の監査役の山口さんから送ってもらったものだし、
自分で買ったのなんてほんと数冊程度。

それが、先週ぐらいから
「読もうかな」って気になってきた。
不思議なもんである。
つーのも今読んでる本が結構難しい本で
気合い入れないと読めないなー、なんて。
読んでく内にそうじゃないことに気づいたんだけど、
全然、気合いじゃない。
むしろ自然に読んでいけばいいと。
ふと思った。
本を読もうと思うってことは何か渇望がある。
知識を得る。
故人に触れる。
自分の頭を整理する。
などなど。
あまり問題を解決したいなというときには
本を読まないんじゃないかな。
本を読んでて結果的に問題解決のヒントになることは
往々にしてあるとは思うけど、
まあ参考書とかそういうのは別にしてね。

俺は今まで本を読まなかった理由がわからなかった。
読みたくならない理由が。
だけど、今少しわかってきた。
自分の頭の中に余裕というスペースがないと
本は読まないのではないか。
逆に言うと本を読みたいと思うことは
まだ自分の中に余裕が少しはあるということ。
ブログもおんなじ。
実はブログは自分の考えをアウトプットすることで
逆に自分の頭を整理することができる。
よって、続けることは自分にとって非常によい。
でも、俺は本と同様にブログも全くか書かなかった。
ってか書く気にならなかった。
頑張って書いたのは数回。
そもそも頑張って書くものではない。
ということで、今また書こうかなと思い始め、
こうして書き始めていることと、
本を読み始めているということは結構関係している。
少しずつ自分の中に余裕というスペースが出来て来ている証拠。
そして、本を読んだり、ブログを書いたりすることで、
このスペースは少しずつ広がり、そして整理されていく。
つまり良い効果が生まれるわけで、
俺にとって一つのバロメーターである。
まあ、ブログ書くのに結局1時間ぐらいは時間かかるしね。
だらだら書いているようだけど、
その時間は「何を書くのか」ということに
自分は集中しているわけだから、
瞑想とかと近い感じじゃないかな。
うん、ホントそんな感じがするわ。

いずれにたってさ、
どんな時でも何かをする余裕というスペースは
絶対に必要だね。
PCだって、メモリ以上のことしようとしたら、
途端に動きが急激に悪くなったり、フリーズしたり。
その時は一旦どれかの作業をストップする。
それでも治らなければすべてストップする。
それでも動きが悪そうであれば、再起動である。
そして、次回もそれぐらいのアプリを
一気に起動させなきゃならなそうであれば、
スペックを上げるしかない。
作業中にスペックアップはダメなのだ。
ハードの問題だから。
一旦電源を落として蓋を開けて、
メモリの交換、または追加ということだ。
人間で言うと何だろう。
再起動はやっぱり一旦全部止めることだよね。
そして少し冷やすために
旅に出たり、本を読んだり、人と会ったり、
わからないけどリフレッシュするわけかな。
ただ、メモリの増量については難しい。
PCのようになかなか一度に処理できる能力を
得られるわけではないからなー。
ってかその能力ってティーンエイジ終わったら、
早々にあがらないんじゃないかな。
ハードってことだから、
脳みそ手術とかってことはあるけど現実的じゃないしね。

でも、1つ1つの処理速度を単純にあげるのは
そうそうできないかもしれないけど、
結果的にあげたり、処理できる量を増やしたりはできるはず。
CPUの方なのかね。
問題に対してのアプローチを変えることで処理速度があがる。
2つのことが同時に起こっても1つのことをやってる間、
もう1つをある程度自分の中で忘れることができる。
こういうのは、”経験”ってやつかと思う。
ホント経験って大事だよね。
いくつになっても新しい経験をすればそれが積み重なる。
そして、単純な処理速度は遅いかもしれないけど、
結果的に多くのものを素早く解決できるわけだ。
この"経験"ってやつは値段がついてないんだけど、
資本社会の今だとある程度、投資した金額に比例するのかな。
まあ王族、皇族など特殊な環境はさておき、
そんな気がしてきた。
大きなお金が絡めばそれだけ経験の対象になる案件も大きくなるような気がする。
お金を使わないバックパッカーとツアーでの参加。
・・・んー、経験という意味が難しいな。
例えばある場所まで行くのに
バックパッカースタイルだと2日で5,000円かかる。
でもツアーだと1日で7,000円でいける。
時間は短いし、ガイドはいるし、移動も自分で調べる必要はない。
しかも泊まるホテルもグレードが高い。
バックバッカーだと自分の力で色々と解決しなきゃならないし、
色々な人と出会えるからそれが経験だと言われると
そう、それも経験なんだよね。
でも、ツアーの経験も侮れないぞ。
なぜ、2,000円追加するだけどこんなに違うんだと。
よくあるでしょ、そういうパターン。
それを実体験できるわけよ。
これもまたバックパッカースタイルでは味わえない。
ん??
なんかちょっとずれてきたかな?
そうだね、ズレータだね、ちょっと。
まあツアーに驚くことも
バックパックスタイルを経験しているからこそ
感じることができるわけだし
やっぱ比較対象がないとダメか。
しかし、比較対象が多くなればなるほど、
投資が大きい方がでっかい経験な気がするが。。。
でっかいってなんだろう。
社会に与える影響かな。
それが大きいほど大きな経験なのかな。
んー、そろそろメモリいっぱいですな。笑

ということは、ホントは本の紹介をする予定が
その前の段階で終了してしまったか!?笑
まあ、それもまたよしと。
そういや、前回、うつ病の続きもまだだった。
それもやらねばな。
うーん、でも大丈夫。
やらなきゃいけないといいながら、
完全にやらなくてもいいことって認識できるてるから。笑
って、自分でも思ってても言わない方がいいこともあるよね。
ということで、本日はこの辺で。



人間としての生き方 by 安岡 正篤 (PHP文庫)
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日比谷さんって方に薦められて読んでるんだけど、なかなか良いぞ。難しい言葉はひとまずおいといて読み進めていけば、苦にはならない。恐らくこれは自分の経験が多ければ多いほど大きく自分に跳ね返ってくるような本だな。ゆえに自分で金を稼いだり、修行したりしてないとそもそも読もうとも思わないと思うわ。笑

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# by satito10 | 2017-08-13 14:27 | LIBRO~本~ | Trackback | Comments(0)